一級建築士事務所   林建築設計工房

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木町の町家

 

二つの建物は一つの町家に変身しました。

瓦庇をつけて、街並みに合わせ、漆喰壁や窓も直しましたよ。

屋根や外壁も、断熱し、補強もしました。

伝統的で懐かしい佇まいに、新しい性能を加えてリニューアル。

200年住宅を目指してがんばってもらいましょう。 

 

第37回金沢都市美文化賞受賞

明治・大正・昭和としっかり素敵に造ってくれた大工さん他職人さんと、

今回の超?難工事を乗り切った平成の施工者の皆さんとの時空を超えたコラボレートです。

 

技と苦労を重ねたお陰で賞に輝きましたよ。

皆さん本当にご苦労さまでした。 

 

 

 

2階の窓が5つ整いました。玄関が左で、右の格子の向こうは車庫になってます。

 

格子戸あけて、こんにちは〜って感じです。

 

でっかい玄関です。お父さんのコレクション並んでます。今のところはお父さんの独壇場。

 

こちらが居間で・・。

 

光サンサン。天井高くて、天窓あり。

30年以上天井で塞がれていて、どなたもこの存在をご存じなかったのですよ。みんなで見つけてびっくりです。

 

板戸の向こうはキッチンでございます。

 

左にみえるはお手洗いの建具。綺麗な建具はやはりいいですね〜。

 

こちら第2の玄関。お父さんの壺が映えるね〜。右に広がるスペースは・・。 

 

・・町家に珍しい車庫。これがジャパニーズインナーガレージなのだ。

 

 

こちらご両親の居間。天井高さは2mくらいですが、落ち着いてくつろげるのじゃ。

 

襖を開けると台所です。障子の日差しが気持ちいい。本棚は魯山人でいっぱいです!

 

ご両親のキッチン、洗面、お手洗い。

 

懐かしい階段の入り組んだスペースには、洗濯機。

 

新しく設けた階段を上ると、広めの前室。機能と造形が相まって、段差の工夫がとても綺麗。

 

ご両親の寝室。すっきり〜。

 

2階は間取りそのままに、お化粧直し。

 

小さくても感じ良い床の間。昔の大工さんもセンスいいね。

 

瓦屋さんも、大工さんも、建具屋さんも頑張った。

 

こんなこともできた。

 

板金屋さんも、左官屋さんももちろん大活躍。みんながそれぞれの持ち場でプロの技。

 

更に、お父さんのコレクションが趣を加えてくれました。

 

 

 

更に更に、庭はお父さんの設計施工です。素晴らしい。

 

みんなで頑張ったお陰で、この通りの街並みは更に良くなったように感じます。

 

この建物を残した大きな原動力は、息子さんのご両親への愛情です。

 

改修工事はとても複雑なことはやる前からわかってはいました。

別の敷地で新築する方が簡単かもしれないほどでしたが、

この場所で暮らしたいと云う息子さんの強い思いで実現したのです。

 

親子の愛は、街並みにまで広がったのでした。

 

 

「木町の町家」 新建築住宅特集2016年2月号掲載原文より

 

 城下町再編前後の町筋が多く残るこの町で、改修物件である間口の狭い二つ町家が並んでいた。一つは明治生まれながら、昭和の香しいアイボリー色の外壁をまとった美容室の姿で、もう一方は大正生まれの古の姿を少し残しつつ建っていたのだ。調査の段階で、構造的には2棟だが、同じ所有者一族のもので一つの建物として造られ、それぞれの時代に増築や改修が行われ、別々の所有者元へと売買され、二つに分けられた外観を持つに至ったのだと判明した。

 

 改修のご依頼は、ご結婚を機にご両親と暮らす家を2世帯住宅に改修してほしいとのことであった。この規模で内外を修繕し、設備を更新するだけでも、かなりの費用を要する。その上、100年以上の経年に伴う傷みも少なくなく、また伝統的な材料が多く残る部位を修繕するのは一般的な費用に比べると高くなる。新築する方が、間取りの自由もあり、快適性が確実となり、建設費も抑えることができるかもしれない。客観的な視点では、この物件を売って、その資金を新しい土地と住宅に充てることが合理的とさえ考えられた。施主と家族はこの地に住むことに拘りがあった、おそらくコミュニティーや地域に対する強い愛着があったのである。愛着とは書いたが、愛に近いモノと感じる。それは明確な理由が言い表せないもので、合理性を飛び越えた存在なのだ。この不可思議思いは強く、微動だにしない。従って、この施主にとって大切な住まいを大好きな地域に相応しい形に整える。また、施主が当たり前に感じる現代の快適性を構築する。古い住まいは、経年でしか成し得ない材料の表情や高い技量で造られた趣深い設えが存在し、残すものと新たなものが織りなす造形は、加算的に魅力を増すものだ。間取りはコストを抑える意味においても、うまく修正する程度で大きな変化をさせないことが得策だった。建物全体を使いきり、いつも使い続けることで、建物が適切に監理され、維持されると考える。できる範囲で回遊式のつながりを形成し、使わない場所や使えない場所も造らないことよう努めた。

 

 木町は旧町名。藩政期この辺りには多くの材木問屋があったことからその名がついた町である。藩政期の始め、防御拠点としての軍事的役割や鬼門除け、勢いのある一向宗の監視と散財を強いるのが目的でこの周囲の山裾に多くの寺院が転居を命ぜられ、寺院群が形成された。寺院の建設は60年ほど続いたといわれており、町も賑わい、その際には多くの木材がこの辺りで製材されていたことは想像に難くない。また藩政期末には、茶屋街がそばに形成され、寺院群に囲まれ賑わう町になったのだ。約400年前ほとんど何も無かった山裾は今や寺院群、茶屋街という2つの伝統的建造物群保存地区となっており、木町もその一部である。地区における修景上、外観の制約がある。また、外観等や構造補強には、国と金沢市からの補助金が一部受けられた。もともとこの地に相応しい外観に整える前提であり、制約は設計上の障害とはならず、むしろ費用補助して頂けて施主の負担の軽減を図ることができた。 

 

 400年以上を経て、形成された都市整備であり、街並みだ。地方性が色濃く残ることは、都市としての大きな魅力の一つであり、大切にしたい。暮らしたい街、暮らし続ける街であることは、都市の盛衰においても重要と思う。国政や地方自治が的確に機能してさえすれば、暮らす人々の労働や日々の関わりが、経済の振興にも繋げてくれて、都市の幸福が満たされると期待しながら、都市や小さな経済圏を育んで行きたいのである。

 

改修前へ  

 

 

 

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